本を熱いうちに読む

厚みのある本は苦手

本(「ウサギとカメ」の読書文化史)を読んだ

本日の一冊は『「ウサギとカメ」の読書文化史: イソップ寓話の受容と「競争」

 ウサギとカメというとイソップ寓話の中で誰もが知ってる話の一つだと思いますが、そんなウサギとカメが日本の中でどう読まれてきたかを解説した一冊。カメが好きなのでとりあえず読んでみましたが、ウサギとカメがどのような形で日本に入ってきたのか、そして今ウサギとカメはどう解釈されるのかという最初と最後が興味深く、中盤は興味が薄れ流し読みでした。

 「ウサギとカメ」の話はイソップ寓話の中の一つですが、そもそもイソップ寓話はいつ日本に入ってきたのでしょうか。

日本にイソップ寓話が持ち込まれたのはかなり早い。1593(文禄2)年、イエズス会が天草で活字印刷したものが最初の書物である。 

 今から400年前からイソップ寓話は日本で読まれていたらしい。といっても最初は外国人宣教師のための日本語の教科書として用いられていたらしいと本書にはある。ちなみにこの時には「ウサギとカメ」の話は入っておらず、「アリとキリギリス」は収録されているらしい。「アリとキリギリス」もまた有名な話で本書でたびたび登場する。

 では「ウサギとカメ」はいつごろ出てくるのか。それは1873(明治6)年のことで、渡部温の『通俗伊蘇普物語』の中に「ウサギとカメ」が出てくる。本書には邦訳文と原文の両方が載っていて、邦訳文の最後には『遅緩なりとも弛まざるものは。急にして怠るものに勝つ』とある。寓話には教訓が隠れているが、その教訓を文章にするものとしないものとがあるらしい。そして、この本が出てから少しあと、1892年ごろは小学校の成績結果が公表される時代であったようで、本書では「ウサギとカメ」とつなげてこう解説している。

当時の学習者たちは、誰が「ウサギ」で誰が「カメ」なのかを常に可視化され、それを日常的に意識せざるをえない状況におかれていた。あまつさえ、それは個別の試験ごとに点数化されて地域社会にまで公開されていた。その結果、学校教育に関わるすべての成員が「油断」せずに「努力」しなければならないような状態にあったのである。

 ウサギは油断せず、カメは努力を続ける。しかし、今やウサギとカメという違いは存在せず、誰もが油断せず努力し続けなければならない時代になってきている。

「試験競争」においては、ウサギの脚力とカメの努力との両方を兼ね備えていないと、誰よりも先にゴールにたどり着けないのである。

 明治の時代は勉学においてのみ、この試験競争が存在していたが、今や勉学のみにかかわらず、仕事や恋愛、人生全般においてウサギの脚力とカメの努力が必要になってきている。生きることは大変だなと痛感してしまいます。ちなみにこの明治の時代、ソ連に行った日本人がいるのだが、ウサギのカメの話を聞いたソ連の子供たちは「どうしてカメはウサギを起こさなかったのか」と質問してきたそうだ。ソ連ではみんなが手を組んで突き進み、大きな目標に向かう考えが浸透しているようで、日本の上に行くために蹴落とす考えはよくわからないらしい。

 日本国民は物静かで思いやりがあるといわれるけれど、出世のためには人を蹴落とす国民性もまた持ち合わせているのかもしれない。

 話はずれるけど、少し前にこのような記事を書いた。人間は昼行性の動物だから昼に行動して夜は寝るんだよという本だけど、この本のコラムかなにかにウサギとカメの裏読みが載っていた。簡単に説明すると、カメは昼行性、ウサギは薄暮性で二匹の競争は昼に行われていた。カメはウサギが途中で寝るだろうと考えたからレースをしたのではないかという話だ。このことから人間も昼行性の動物なんだから夜に働くんじゃねーよと思ったわけだけど、自分が有利になる場面をいかに作るかが競争では大事なんだなと思う。

 今やウサギもカメも見えないゴールに向かって走り続けなければならない時代。少しでも休憩してみんな一緒にゴールに近づけたらなと思う。

 おしまゐ。

本日紹介した本

「ウサギとカメ」の読書文化史: イソップ寓話の受容と「競争」

「ウサギとカメ」の読書文化史: イソップ寓話の受容と「競争」