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本を熱いうちに読む

厚みのある本は苦手

『身体が「ノー」と言うとき』を読んだ

 


本日の一冊は「身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価

本記事の目次

ストレス

 タバコを吸うとがんになりやすい。かといってタバコを吸う人みんなががんになるわけではなくて、他にも要因が重なって病気になることがほとんど。その他の要因の一つに取り上げられるのが「ストレス」。このストレスが健康におよぼす影響について本書では多くの例を取り上げつつ紹介しています。 特に著者が意識しているのは幼少期から続くストレスについて。

私は本書で、ストレスが健康におよぼす影響について、特に私たち誰もが幼いころから引きずってきた隠れたストレス――あまりに深く埋め込まれ、とらえにくいために、本当の自分の一部のように感じている何らかの心的パターン――が健康におよぼす影響について書きたいと思っている。

  この話は少しあとで出てくるが、とりあえずストレスとはいったいなんだろう。言葉はよく聞きますし、なんとなくわかっている人が多いかと思いますが、本書ではストレスをこう説明しています。

ストレスとは、脳、内分泌器官、免疫系、その他多くの身体器官が関与する、客観的で測定可能な一連の体内の生理学的変化なのである。

ストレスとは、ある有機体がその存在や健康への脅威を知覚したときに起こる、体内の変化――目に見えるかもしれないし見えないかもしれない――なのである。

  生理学的変化、体内の変化。そのほとんどは目に見えないと思います。そしてこのストレスを体験にすることには3つの構成要素があります。一つ目は出来事。二つ目は出来事からストレス刺激を受けて処理するシステム。三つ目は処理した結果のストレス反応。ある出来事を体験したからと言ってみんながみんな同じ程度のストレスを体験するわけではなく、処理する段階で軽いストレスと見なすか重いストレスと見なすのかが決定する。そうしてそのストレスに応じて身体は反応を示します。ストレスと一言でいっても、その程度には差があるわけですね。

 ストレスが体に影響を及ぼす。ストレスとは体内変化。そしてストレスの構成要素。言われなくてもわかっている当たり前の話かもしれませんが、ストレスの基本知識は本書では重要になってくるので紹介しました。

ノーというとき

 本書のタイトルは第1章に書かれている著者が寄稿した雑誌記事の中にあります。

「ノーと言うことを学ぶ機会を与えられずにいると、ついには私たちのからだが、私たちの代わりにノーと唱えることになるだろう」

 与えらずとあるのは親に対してです。子どものころに、ノーと言うことを覚えず相手の要求を聞き入れてしまうことを覚えてしまうと大人になってもノーと言えなくなる。結果、身体や心に負担が増えていき、ストレスが溜まりにたまっていつしか病気になってしまうというもの。ストレスと一言で言っても、出来事が違えば受けるストレスも違うし、身体の反応も異なります。心の奥底ではノーと言いたいと思っているのに、実際に何かを頼まれるとノーと言えず聞き入れてしまうことに身体は多少のストレスを受けますが、本人はこれをストレスと認識していなかったりします。ノーと言わないのは自分の意思で、決して無理やりではないという考え。これが最初に引用した「本当の自分の一部のように感じている何らかの心的パターン」というわけである。つまり問題のある考えや行動が自分の性格の一部になっていて、身体に負担がかかっているのに、その性格が問題だとは思っておらずストレスが蓄積されていき、病気になってしまうという流れが幼少期から続くストレスの結果です。

 本書ではいくつかの病気とストレスを関連付けて紹介されていますが、ここでは注目度が高そうながんに関するストレスを取り上げます。

怒りの感情

 がんのリスク要因に共通しているのが「怒りの感情」です。

多くのがん研究にいちばん共通してあげられているリスク要因は、感情、特に怒りに関わる感情を表現できないことである。怒りの抑圧という性格特性が病気を呼び起こせるのは、不可思議な抽象的な力が働くせいではない。それが人間にかかる生理的なストレスを増すからこそ、主要なリスク要因なのである。

 怒りを抑圧することは病気、特にがんにつながることがわかっているそうですが、怒りを爆発させていては人間関係に問題が生じます。怒りを出すことも抑えることも有害ならばどうすればいいのか。心理セラピストのアレン・カルピンはこう説明しています。

彼は怒りの抑圧も暴発も、本当の怒りを感じることを恐れる気持ちがもたらすと言っている。 

 抑圧も暴発も感情の異常な放出であるとして、本当の怒りとは、ただすべての筋肉の緊張がゆるむだけだという。文字で書いてあると、なるほどなと思ってしまうのですが、本当の怒りと爆発的な怒りの違いを認識するのは難しそう。この2つの違いをカルピン博士はこう説明しています。

怒りが安らぎなら、爆発的な怒りとはなんだろう。怒りを爆発させているとき、その人の顔はこわばり、筋肉は緊張してとてもリラックスしているようには見えないだろう。カルピン博士はこの点を明確に区別している。「問題は、怒りを爆発させているとき、その人は本当は何を体験しているかということだ。この質問はぜひしてみたいね。実際に訊いてみたら、ほとんどの人は不安を語るだろう。(中略)」

 本当の怒りの中に不安はないのだろうか。そこのところがよくわからないけれど、怒りの抑圧や爆発には不安がついて回るということ。不安だからこそ異常な感情が出てしまう。不安は厄介な存在だなと思ってしまいます。

医師の反応

 ここまで病気とストレスのつながりを見てきたけれど、医師の多くはそのストレスをあまり重要視していないように思います。特に気になったのは医師と患者の関係性について。

医師は自分の専門分野に集中すればするほど、からだの特定の部分や器官についての知識は深まるが、その部分なり器官をもつ人間そのものについての理解を軽視するようになる傾向がある。この本を書くにあたって私がインタビューした患者たちは、彼らの人生における個人的、主観的な問題を見つめなさいと専門医なりホームドクターなりから促されたことは一度もない、と異口同音に言う。

 私は疲労が蓄積されていくと肌が荒れます。特に手のひらにその症状が表れますが、皮膚科に行っても、症状を見て薬をもらうだけ。どうしてその症状になったのかなんてこと医師はあまり聞いてこない。最近になってようやく疲労が手のひらに表れることを自分で認識したけれど、当初は手洗いのしすぎなのだろうか、何か変なもの触っただろうかと色々と考えていました。医師の中には、生活習慣やストレスを無くすことによって病気を治そうと考えている方もいるかと思いますが、1日に何百人も見ていると、症状を見て薬を出すのが精一杯という病院も多いでしょう。著者は精神科医のころに、病院側から1時間で10人見てくれと言われたことがあると言います。1人あたり6分です。内科外科の場合とりあえずその怪我や症状を和らげる薬を出せばいいかもしれませんが、精神科の場合薬だけで解決すれば本当にいいなと思うわけです。薬とともに、その人の問題点を精神科医と見つけて直していくのがベストだと思うのですが、そうなるとカウンセリングに行けよとなるのでしょうか。

 まあその症状が心から来ている場合があることを医師は忘れずに見てほしいなと思うわけです。でも根本的に治してしまうと病院に来る人減るから利益減るんだよなって思ったりもする。

治癒のために

 本書最後の章には治癒のために7つの答えがまとめられています。本記事でも紹介した「怒り」をはじめ、「受容」「気づき」「自律」「ふれあい」などがあります。気になる方は本書を手に取ってみてください。

 おしまゐ。


 本日紹介した本

身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価

身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価

 

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