本を熱いうちに読む

厚みのある本は苦手

第42回文藝賞受賞『窓の灯』を読んだ

本日の一冊は「窓の灯

 第42回(2005年) 文藝賞受賞作品。120ページと薄かったので読んでみることに。主人公まりもは覗きによって他人の生を感じている。向かいに引っ越してきた男や一緒に住んでいるミカド姉さん、散歩の途中にある家々を覗いて、なにをしているのかを見てしまう。ほかの人が何をしているのか気になってしまうのはどうしてだろう。そんなことを考えた一冊。

 緩急があまりなく同じペースですらすらと読めてしまうため、読後感に残る感情は特にないけれど、まりもの生活を読者である自分が覗き見していたのかもしれないと思い始める。小説は他者の生活を覗き見する行為なのだろうか。といっても到底現実では起こり得ない内容の小説はあるわけで、それらは現実の覗き見の変わりにはならない。しかし「現実は小説よりも奇なり」という言葉があって小説みたいな出来事は現実の世界はしばしば起こり、それは奇跡や偶然などの言葉に置き換えられて認識されるけど、そういう「奇」を人は覗き見したいのかもしれない。だからこそ小説を手に取って、現実ではできない覗き見をしている。そうやって人の生活をのぞき見することができるというのが小説の一つの役割か。ということを考えたけど、結局小説は娯楽でしかなかったりするんだよな。

 この本の書き出しは「カーテンが揺れている」から始まる。カーテンが開いていると家の中を覗くことができるし、閉まっていれば家の中は見えない。本書の中でカーテンはとても重要なものとしてたびたび登場する。向かいに引っ越してきた男の部屋にもカーテンがあるけれど、薄い生地のようで部屋にいる人影が見ることができる。そうやってまりもは男の家に遊びに来る女との生活を覗いている。現実でも、夜マンションの前を通ったりするとつい部屋の光を見てしまうし、カーテンが開いているとおやっと気になる。人は他人の生活が気になるものだ。

 さきほどもあげたように、この「窓の灯」では向かいに引っ越してきた男の家に女がやってくる場面が描かれている。誰だって男女が2人いると気になるものだ。まりもみたいにわざわざベランダに出て覗き見する人は滅多にいないだろうけど、どこかで見たいと思っているでしょ。人には好奇心があるのだから。

 おしまゐ。