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本を熱いうちに読む

厚みのある本は苦手

文学では食べてゆけない 『絶望名人カフカの人生論』

 

本日の一冊は「絶望名人カフカの人生論

 

先日このブログで取り上げた「絶望読書――苦悩の時期、私を救った本」著者の本。


今回は読書ではなくカフカに焦点を当て、カフカのネガティブな名言を見ていこうというもの。名言というと、ポジティブなものが多く、前を向いて生きていこうと思えるようなものがほとんど。

しかし、カフカの言葉はどこか後ろ向きで世の中に絶望したものだらけ。そんな言葉の中から、いくつかピックアップし、解説を加えた一冊となっています。

「はじめに」の中で、カフカの本当の言葉を味わうことができる名言が紹介されています。

たとえば、よくみかける言葉に、こういうのがあります。

 

  すべてお終いのように見えるときでも、

  まだまだ新しい力が湧き出てくる。

  それこそ、おまえが生きている証なのだ。

 

前向きで明るいですね。まさにポジティブです。

でも、じつはこれには続きがあるのです。

 

  もし、そういう力が湧いてこないなら、

  そのときは、すべてお終いだ。

  もうこれまで。

 

この後半こそが、カフカの味です。

 前半部分だけを見ると、ピンチの時でも活力は残っているもの。そうして人は生きていくんだ。というようなことを考えますが、後半を含めると、活力は無限にあるわけではなくて、有限。その活力を出すことができなければ、どうにもならないよ。人の無力さを感じます。

ところで、カフカって誰?と思う方もいるかと思いますので、ここでwikipediaを見てみましょう。

フランツ・カフカ(Franz Kafka, 1883年7月3日 - 1924年6月3日)は、出生地に即せば現在のチェコ出身のドイツ語作家。プラハのユダヤ人の家庭に生まれ、法律を学んだのち保険局に勤めながら作品を執筆、どこかユーモラスで浮ついたような孤独感と不安の横溢する、夢の世界を想起させる[1]ような独特の小説作品を残した。

 フランツ・カフカ - Wikipedia

 

「変身」が代表的な作品だそうですが、読んだことはありません。ちなみに生前はあまり売れず、死後に注目を浴びた方です。

 では、私が気になった言葉をいくつか紹介していきましょう。

 

父と子

カフカは華奢な体型だったようで、自分を貧弱と思っていて、そういう思い込みからか、最後は病気になります。対してカフカの父は体ががっちりしていたようで、カフカと真反対のような人だったそう。カフカは、父への手紙でこう語っています。

 ぼくに必要だったのは、少しの励ましと優しさ、わずかだけぼく自身の道を開いてもらうことでした。

 それなのに、あなたは逆に、それを閉ざしてしまった。もちろん、ぼくに別の道を歩ませようという善意からです。

 しかし、ぼくにはその能力がなかった。

 たとえば上手に敬礼したり行進したりするぼくを、あなたはとても誉めて励ましてくれました。けれども、ぼくは未来の兵士ではなかったのです。

 カフカパパは貧しい家庭でしたが、カフカパパは努力して財を手に入れます。その結果、カフカは豊かな家庭で育ち、教育も受けることができました。カフカパパは稼ぐことによって人生をよりよくできると思っていたのでしょうが、カフカ自身はもともと裕福だったためか、教育を受けたためか、稼ぐことに興味がなく、小説を書きたいと思うようになります。

しかし、カフカパパは、その道はよくないぞと助言をしました。カフカの―父への手紙―はタイプ原稿で45ページほどなる長い手紙でした。その内容は、すべて父への恨み言。どれほど父に対して恐怖心や不安、疑心などがあったのか。

この名言に対して著者の解説にはこうあります。

 少なくとも、「そっちの道はダメだ。こっちの道を進め」と、自分の経験から助言したくなるでしょう。

 カフカ父親もそうであったようです。

 しかし、それはライオンがネズミに生き方を教えるようなものです。

 ネズミは自分がライオンでないことを思い知らされ、しかもネズミとして生きることさえ、うまくできなくなってしまったのです。

ライオンとネズミはかなり大げさな対比ですが、人間の中にはこのぐらいの差があるのかもしれません。会社を設立して大企業に成長させる人もいれば、依存症となり人生が壊れていく人もいる。自分に合った生き方を見つけるのは難しいけれど、自分には合わない生き方ぐらいには知っておきたいです。

 

やりたいことはお金にならない

次に紹介する言葉はカフカの日記の中から。

 ぼくの仕事が長くかかること、

 またその特別の性質からして、

 文学では食べてゆけないでしょう。

なぜ文学では食べてゆけないとカフカは考えたのか。その答えは、カフカの書きたいものにありました。

 ブロートの小説は、ありきたりで、いかにも一般受けする内容でした。

 カフカもそういうものを書く気があれば、作家として生活していけたでしょう。

 でもカフカはそういうものを書く気はありませんでした。

 彼は作家という称号を手に入れたかったのではなく、書きたいものを書きたかったのです。

 それは一般にはウケない。だから、生活はできない。

 それはわかっていても、生活のために嫌な勤めをすることになっても、そこは曲げられなかったのです。

ブロートというのはカフカの親友で、作家です。ブロートは作家で生計を立てていて、カフカの目の前には作家で生きている人を間近で見てきました。そうして、自分は書きたいものを書きたいわけで、一般ウケするものを書きたいわけじゃないと思ったのだろうか。

カフカは書きたいものを書きたかった。それで食べていけないこともわかっていた。

ノマドやブロガーに通じるものを感じます。本当は自分が書きたいことだけを書いて食っていきたいけれど、そんなことはできないから、ネットに散らばった細々した情報や、話題のニュースを取り上げてPVを稼ぐ・・・。そうしていつからか他のサイトと変わらないようでものになっていく。なんてね。

 

 おわりに

この本には、将来、世の中、身体、心、親、学校、仕事、夢、結婚、子供、人間関係、真実、食、健康、病気など人生の中で一度は考えるようなことばかりについて、カフカ視点の絶望を知ることができます。

 

たとえば、婚約者への手紙の中でカフカは食事についてこう語ります。

 ぼくは朝昼晩の食事をとるだけで、間食はいっさいしません。

 食事の量も少なく、とくに肉類は普通の人が少ないと感じる以上に少ないです。

 おやつはぼくには害になります。

おやつが害になる。どれだけ小食家だったか。なぜこれほど食事に気にしていたかというと、健康のため。自身の身体が弱いということを気にしすぎて、健康に気を使いすぎたのかもしれません。最後は結核にかかってしまい40歳で亡くなってしまいます。

 

ちなみに、話はそれますが日本の作家さんに朝霧カフカという方がいます。漫画「文豪ストレイドッグス」の原作者なのですが、フランツ・カフカに影響を受けているのでしょうか。気になります。