本を熱いうちに読む

厚みのある本は苦手

絶望したときに読むのは前向きな本ではない 『絶望読書』

 

本日の一冊は「絶望読書――苦悩の時期、私を救った本

 

「絶望したときには、絶望読書を。」と帯にもあるように、絶望している時に無理に明るかったり前向きな本を読むのではなく、バッドエンドのような絶望の本を読むことによって、絶望の期間を穏やかに過ごそうと説く一冊。

 

内容は非常にわかりやすく、前半は著者自身の絶望体験から、絶望読書がどれほど有効であったかを説明してくれる。後半は、著者が絶望の期間に実際に読んでいた本をいくつか紹介してくれる。ただし、本には好き嫌いや向き不向きがあるため、自身にあった本を元気なうちに色々と読み漁っておくのもいいと著者は言います。

 

今の時点では、「本なんか必要ない」と思っている人は多いと思います。

でも、切実に求めるときがあると思うんです。

水の本当のおいしさは、本当にのどが渇いたときに初めてわかります。

おにぎりの本当のおいしさは、本当にお腹が空いたときに初めてわかります。

 

地震が起きてから地震対策を考えていては遅いのと同じで、非常時に役立つものを今のうちに見つけておいたほうがいいということですね。

著者は芸術に関しても絶望時に役立ったと言っていますが、絶望の期間の時の過ごし方は人それぞれなのかもしれません。著者は、絶望読書によって絶望の期間を過ごしていましたが、音楽好きならば絶望的な音楽を聴いて過ごすのもよいと思いますし、映画やドラマ好きならば絶望的な映像作品を見ながら過ごすのもよいでしょう。

 

絶望中の希望の光

 

著者は入退院を何度か繰り返しており、入院中にお見舞いとして本をもらうこともあったそうです。しかし、明るい前向きな本は逆効果だと言っています。それは、励ましの言葉さえも届かない、どん底まで落ちていたからでしょう。

 

また、闘病記に関しても、病気とひとくくりにでいっても、軽いものから重いものまであり、参考にするのも難しく、また、病気でも明るく前向きな人の内容であることが多く、病気になっていてもポジティブでいてほしいという贈る側の思いはわかりますが、そもそも自分の病気で精一杯だよということです。

病気と闘うだけでも精一杯なのに、そのうえにさらに立派な人になどなれるものではありません。

 

そして絶望した内容の本。この本をくれたのは、当人も長期入院経験をした人だけだったそうです。では、なぜ絶望した本がよいのか。繰り返しになる部分もありますが、著者の言葉を紹介します。

そういう本がなぜいいのかというと、最終的には、第一章で書いたように、絶望的な出来事によって混乱してしまった人生に、新しい秩序をもたらすためでしょう。書き直さざるを得なくなった人生の脚本を、なんとか書き直すためでしょう。

 

電通の社員が自殺した事件がありましたが、終わらぬ仕事という絶望の中で、もし、仕事を辞めて新たな生き方を模索することができれば自殺という方法をとらなかったのかもしれません。しかし、彼女にとっては、今の生き方がすべてであり、「降りたら死ぬレース」というものから逃れることはできませんでした。

 

もし、無理やりにでもこのレースから引きはがされ、新たな人生の脚本を書き直すことになっていたならば、彼女はいまも生きていたのかもしれません。

 

著者もまた、順風満帆な人生を送っていた中で、突然闘病生活に入り、今後の人生をどう生きればいいんだと絶望していました。その中で、絶望読書と出会い、また近年の医学の発展により多少は日常的な生活をすることができるようになっているようですが、それでも病気になった当時、いろいろな選択肢を突然奪われ、新たな人生の脚本を書き直さなければならなくなりました。

 

私は大学3年の20歳のとき、突然、難病になりました。それまではとても健康で、むしろ病気ひとつとしたことがありませんでした。就職がとても楽な時代で、大学院に進むか就職するか、どちらでも自分の好きなほうを選べました。人生はこれからだと思っていました。いろんな選択しのどれを選んだらいいのか、悩みはそれくらいでした。

 

それが突然、入院で、医師から「一生、治らない病気です」と言われました。(中略)目の前にいろんな道がのびていて、どれを選ぶのも自由だったはずが、いきなり、すべての道が閉ざされて、暗い崖のような未来しかなくなってしまいました。

 

大学を卒業して、仕事をするなり院に入るなりして、そして結婚して・・・というような人生脚本を考えていたのに、それがかなわなくなった。むしろ仕事もできるかどうかもわからない。一生、病気と付き合っていかなければならない。元の生活には戻れないという事実を二十歳という若さで突き付けられたら、絶望するしかないでしょう。

 

私もまた、大学時代に絶望的経験をしました。といっても病気ではありませんが。その時に、明るい前向きな本を読んでなんとか乗り越えようとしましたが、難しく、今も心のどこかで引きずっているように感じています。また、絶望の期間に明るい前向きな本を読み続けた結果、精神的にやられてしまったのか、ある日突然「息を吸っているだけで何故か気持ちよくて感謝できる」という謎の思考回路に陥りました。今考えなおすとこいつ頭大丈夫かと思います。

 

いやいや日々のさりげない出来事に感謝することはよいことかもしれませんが、息ができるだけで幸せってちょっとやばいです。そんなことを思い返すと、あの時に必要だったのは明るい前向きな本ではなく、絶望読書だったのかなと考えたりしちゃいます。

 

まずは絶望

 

人間は誰しも一度や二度の絶望的経験をしているものです。しかし、人間は立ち直り前を向いて生きていくもの。

だからといって、絶望した瞬間から立ち直っていくわけではありません。

時間の経過によって徐々に立ち直る時もありますし、なにかの出会いによって立ち直っていくこともあるでしょう。

著者は、そういう立ち直る前の絶望期間に絶望読書をすることをすすめています。立ち直る期間に入ったと思ったならば、前向きな本も心にしみるでしょう。

 

落ち込んだ瞬間から、順調に立ち直りの階段を上がっていけるわけではありません。しばらくは停滞してしまって、何をどうしようが浮かび上がれない期間があります。この期間に耐え、うまく過ごすことで、その後また、立ち直りの階段を上がっていくことができるようになるのです。

 

そして、絶望や立ち直りの期間の長さは人それぞれであることを知っておかなければなりません。もし、知り合いが絶望していて助けの手を伸ばしてあげたいと思っている時、自分からしてみればもう大丈夫だろうと思っていても、絶望した本人からしてみれば、まだまだ立ち直るのには時間が必要と思っているかもしれません。そんな時、せっかく手を差し伸べているのに、どうして立ち直れないんだと思うのはいけません。

 

落ち込んでいる姿を見るのは、こっちとしては気を使いますし、それこそ自分の気も滅入ってくることもありますが、落ち込んでいる本人もどこかで早く立ち直りたいと思っています。でも焦って立ち上がると反動でさらに落ち込んでしまうこともあります。

 

ですから、落ち込んでいる人は、周りを気にせず自分のペースで絶望の期間を過ごし、そして立ち直っていってほしいですし、その周りの人たちは、落ち込んでいる人を意識しすぎないようにすることが大切なのではないでしょうか。

 

いろいろと書きたいことがあるのですが、うまくまとめられず、この記事も少し読みにくいかもしれません。私自身も絶望を経験した身として色々思うことはあるのですが、絶望経験というのは普段無意識の奥底に封印しているもので、意識に出すと疲れます。その疲労感が文章から伝わっていないか心配だったりもします。

 

もう少し話をまとめてから記事にしろよとも思ったのですが、今の気持ちを今ここに書き記しておいたほうがいいかなと思うわけで、この記事を書くことにしました。さて、数か月後、この記事を読んだ私は何を思うのだろう。

 

あ、絶望読書自体はとても読みやすいので、気になった方はぜひ手に取ってみてはいかがでしょう。あまり自身が読んだ本はおすすめしませんが、この本は誰がとっても良いと思うのでおすすめさせていただきます。

 

おしまい。