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本を熱いうちに読む

厚みのある本は苦手

嘘発見器は興奮検知器 「その〈脳科学〉にご用心: 脳画像で心はわかるのか」

身体 科学

 

一部の脳科学者や哲学者から見れば、あなたは脳以上の何者でもないかもしれない。

 

本日の一冊は「その〈脳科学〉にご用心: 脳画像で心はわかるのか

 

とても読みやすい脳科学本。様々な実験結果を取り上げ、脳科学でできることできないことを解説してあり、なるほどなと思うことがたくさんありました。

 

特によかったのが訳者あとがき。訳者あとがきというと、だいたい著者とのつながりだったり、この本のまとめ、謝辞などが少し書かれているだけで、あまり注目して読むことはありません。しかし、この本の訳者あとがきには、いわゆる本書の構成がわかりやすくまとめられていました。

 

この訳者あとがきを引用しつつ本の内容を振り返ろうかと思います。

 

著者は序論に続いて、脳画像法の花形であるfMRIの概説をし、fMRIが実際にできることとできないことを区別したあと、俗社会に目を移し、まずニューロマーケティングを取り上げる。消費者は自分が何を欲しているのかわかっておらず、消費者の脳を調べれば、効果的な広告やキャンペーンを行なえるとニューロマーケターは言うが、はたしてそれは正しいのかを検討する。次に取り上げるのが中毒で、中毒は「脳の疾患」という説が幅を利かせるようになりつつあるものの、じつは脳という生物学的次元にだけこだわっていてはならないことを明らかにする。

 

消費者の脳を調べれば、効果的な広告やキャンペーンを行なえる」さて本当でしょうか。

 

ある実験では、利益と損失を予測を関連する脳領域がそれぞれ違うため、そこを調べれば買うか買わないかを予想することが可能になる結果が出されています。ただし予想精度は6割ぐらいで、本当に予想できるのか怪しいところです。

 

次に書いてあるのが「中毒」。これはつまり依存と解釈していいのでしょうか。

 

依存症の本を読んでも、なかなか過程、プロセスがわかりにくいのですが、わかりやすい説明があったので引用。

 

中毒のプロセスは、一つには、脳の主要な神経伝達物質の一つであるドーパミンの働きによって起こる。ドーパミンは通常、食物やセックスなど、他の生存のために重要な刺激があると、脳のいわゆる「報酬経路(報酬回路)」で分泌量が一気に高まる。ドーパミンの増加は、私たちが食事やセックスをはじめとする快楽行為を繰り返すよう促す「学習信号」として働く。薬物はこれらの自然な刺激をしだいに真似るようになる。マールボロの煙草を吹かす、ヘロインを注射する。あるいはジムビームをあおるたびに、報酬経路の学習信号が増強され、誘惑に弱い常用者には、こうした薬物類が食物やセックスを連想させるような誘因[インセンティブ]の性質を帯びてくる。

 

ではこの中毒者は、自己を制御できないがために中毒に陥ってしまうのだろうか。fMRIを使った実験では、喫煙者の脳は報酬回路が活性化しているのがわかります。しかし、喫煙の長期的影響を考えさせることにより、喫煙に対する渇望を減らせることもわかりました。

 

つまり、中毒者には自己制御能力があるわけです。では中毒者が中毒のままなのはどうしてかというと、中毒になっているそのモノの使用欲求が制御できないのではなく、制御をする動機づけができないのです。

 

さて、訳者あとがきでは「中毒は「脳の疾患」という説が幅を利かせるようになりつつある」とあります。

 

依存症の本でも、脳の動きを解説して、ニューロンだのドーパミンだの報酬回路だの難しい単語が並ぶわけですが、中毒を脳の疾患として取り上げてしまう理由の一つには、中毒者を怠け者ではなく病人と扱いたいという考えがあるのかもしれません。

 

「脳の疾患」という概念の支持者は、中毒者に対する世間の悪いイメージを改めることで、中毒にまつわる汚名を払拭しようとしている。彼らはだらしない怠け者ではなく、病気と闘っている人たちにすぎないというわけだ。

 

なるほどなと思う視点でありますが、中毒を脳の病気としてしまうと、脳を見ないと中毒かどうか分からないっていうことにもなってくるのかなと。また、脳の疾患とする中毒は、慢性的で再発する病気と見なされているそうで、これでは一度中毒になってしまったら永遠に付きまとわれるのかとなってしまいます。

 

しかし、お酒やギャンブル、タバコに中毒になっていた人でも、それらをやめることができた人はたくさんいるはずです。それに中毒の治療では、神経回路や脳の話など使わず、薬物を使い続ける人の心に焦点を当てた行動療法が中心。

 

中毒とはいったいなんなのか。まだまだわからないことが多いということですね。

 

ここからは後半。訳者あとがきの後半を引用します。

 

本書の後半のテーマは脳科学が法に対して持つ意味合いで、まず、脳を調べれば嘘を検出できるという考え方の科学的妥当性を問う。次に、脳科学に依拠した証拠が法廷に持ち込まれたとき、被告人の責任追及にどんな影響が出るかを考察する。著者はさらに話を発展させ、私たちは自由意志を持つ行為者であるという考え方に脳科学が呈する疑問に取り組み、人間の行動について脳科学には何が語れるのか、語れないかという問題を検討して締めくくる。

 

法、証拠、被告人といった法曹についてはボリュームがあったので取り上げません。というか、いろいろな実験や実際の法現場で出された脳科学とそれに対する結論が書かれていて、どれを取り上げようかなと迷ったのでスルーします。

 

個人的にも法の話より嘘の話のほうが気になりましたので、そちらを少し。

 

ポリグラフ

 

いわゆる嘘発見器です。

 

結論を引用してしまうと・・・

 

というわけで、ポリグラフは煎じ詰めれば興奮検知器であり、嘘発見器ではない。

 

アメリカ科学アカデミーの推定では、ポリグラフ検査では、嘘を7割から8割見つけ出せるそうですが、真実を語る人の6割を誤って嘘つきと判断してしまうとしています。

 

ポリグラフの仕組みは、事件?に関係のない質問をした時と関係のある質問をした時の心拍の乱れや汗の滲みなどを比較して嘘か真かを判断するわけですが、無実の人は訊問されて動揺し、嘘と判断されたり、逆に有罪の人は場数に慣れていて、わざと生理的な反応を起こし、かく乱させる。

 

つまり、興奮検知器なんだと締めくくられています。

 

といっても、この世界は嘘に塗り固められているので、嘘がわかるようになればこの世界も少しは平和に・・・ならないでしょうね。逆に混沌としそう。

 

嘘を検知できないというのは、嘘だらけの世界でははなはだ不都合だ。人は、10分以上続く社会的相互作用の5回に1回で嘘をつくと認めている。これは、平均すると少なくとも1日1回になる。ある人が徹底的に文献を調べたところ、英語の語彙には、「collusion(共謀)」「fakery(ごまかし)」「malingering(仮病)」「confabulation(作話)」「prevarication(二枚舌)」「exaggeration(誇張)」「denial(否認)」など、嘘という含みのある単語が112個あったという。イギリスの精神科医で嘘の専門家、故ショーン・スペンスは、どの文化にも、正直を意味する単語よりも嘘を意味する単語のほうが多いことに気づいた。欺き方はいくらでもあるが、真実を語る方法は一つしかないからかもしれない。

 

最後は自由意志と決定論の話が取り上げられていますが、興味が湧きませんでしたので流し読み。

 

というわけで、脳科学リテラシーを磨くのにとても素晴らしい本を見つけたものだなと思う今日このごろでした。

 

おしまい。