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本を熱いうちに読む

厚みのある本は苦手

決める自由と、じぶんの不自由さ 「決められない!―優柔不断の病理」

 

決められないということは、そこから先に進めないことである。

 

本日の一冊は「決められない!―優柔不断の病理

 

不安な人たちの症状と、なぜ不安になるのかが書かれているこの本、その不安にどう対処すればいいかがパッとしないのが残念なところ。

 

構成はまず不安を抱えた子供・大人の実例を挙げて、次に物事を決められない要因を外と内にわけ、まずは外である情報について説明、続いて内として自分について書いてある。そして自分とはいったい何なんだと哲学へと導かれ、不必要な不安を抱かないために情報の取捨選択をしていこうみたいな終わり方。

 

つまり決められない要因は情報自分にあるってことかー。

 

決める自由、選ぶ自由

 

決められない一つの理由として選ぶ自由と能力が関係しています。

 

昔は決める自由もないぐらい、モノもなく選択肢もなく、不自由さがあったと思います。しかし、今はモノもあり、選択肢もたくさんあり、決める自由も本人にある。

 

ただし、人間の能力は昔も今もそこまで変わらないわけで、モノがあふれ、選択肢もたくさんある中で、自分に合った選択をできるかどうかは別です。

 

決める自由、選ぶ自由がある中で、この自由とはいったいなんなのか。このような説明がしてあります。

 

自由であるといっても、人は自分の能力や性格、社会的な環境などから完全には自由になることはない。そこにはある種の不平等感があるだろう。自由とは常に不平等さとそれに由来する不自由さという限界の中にある。そしてその不自由さは、ほかならぬ自分自身から生じている。

 

なにかになりたいと言うことは自由ですが、本当になれるかどうかは自分自身の能力があるかどうかが重要になってくる。

 

スポーツ選手になりたいと思っても、運動能力がないといけないし、大学教授になるには勉強ができないといけない。

 

選ぶ自由はあるものの、実際になれるかはわからない。当たり前ですね。

 

高校の時に、〇〇を学びたいからこの大学に行きたいなーと思い偏差値を調べたら自分には難しすぎて選ぶ自由はあっても、そこに行くための能力がないと難しいんだなと痛感した記憶があります。

 

この自分自身の能力という不自由さの中に自由が存在しているわけで、この自己を無視して自由な選択をしても、そこには不自由さしかない。だからこそ自分を見つめることはとても大事なんだなと思います。

 

自分とは何かを親から学ぶ

 

あー、だからこの本には「自分とは何か」という章があるのかと、ここにきて理解して、読み直してみたのですが、自分とは何か、よくわかりませんでした。

 

ただ、自己を認識していく過程で、まず親子関係があげられていて、親の価値観を子は学び、その親の価値観と自己の価値観の違いを知り、自分自身を作り上げていきます。

 

子供の教育の中で、親はどこまで自分の価値観を子供に押し付けるのか。子供は親の価値観と自分が成長していく中で考える価値観とのズレをどこかで見つめなおさないといけない。この見つめなおすのが、いわゆる反抗期なのでしょう。

 

そして本書の最後には、こどもの教育について自分で決める教育を、と書いてあります。

 

何かを決めるために迷い悩み、時に不安になることは誰にでも起こることだ。情報が氾濫し、しかも先行きが不透明な現代にあって、決められなくて悩むのは自然なことでもある。今後も、情報が減ることは考えられない。だからこそ、必要な情報を取り入れて不必要な情報を排除し、情報を自分の脳が扱える範囲に収めることが求められる。こどもの教育においても、大量の情報を詰め込むことが重要なのではなく、最低限必要な知識と情報を選別する力、それらをもとに考え、自分の判断で決める力を育てることが大切になるはずである。

 

今も昔も人間の本質はそこまで変わらない中で、情報だけが増え、この溢れかえった情報とどう向かい合えばいいか分からない。

 

選ぶ自由さはあるものの、情報がたくさんあって、どれを選べばいいかもわからない。情報が少なければと思う時もありますが、2005年に書かれたこの本。10年の時を経て、今ある情報の数は何倍、何百倍にもなっているはず。

 

はあー決めるって面倒だな。

 

おしまい。

 

↓追記↓

 

ふと思い出したのですが、ジャムの実験をご存じでしょうか。

 

米サンフランシスコのドレーガーズというスーパーの入り口近くに、有名ブランドのジャムの試食コーナーを設けた。そこでは24種類の試食ができる豊富な品揃えと、6種類に絞った少ない品揃えの2パターンを入れ替えて、試食する人数を測った。

 24種類のときには、通行する来店者の60%が試食に立ち寄った。逆に6種類のときは40%にとどまった。

 さらには、試食者がジャムを実際に購入したかどうかまで調べていくと意外な事実が表れた。24種類の試食コーナーを利用した人のなかで、実際に購入した人は3%にとどまる。しかし、6種類のコーナーで試食をした人のうちの30%が実際にジャムを購入したのだ。

24種類と6種類のジャム試食、多く売れるのはどっち?人はなぜそれを買うのか? | ビジネスジャーナル

 

選択肢が多すぎると買わない(なにもしない)人が多くなるという結果。

 

今の情報化社会でも、選択肢が増えすぎて、どうすればいいかわからずなにもしない人が多いのだろうか。

 

車を選ぶときも種類が多すぎてどれにすればいいかわからない。絞り方もわからないと、どれが自分に合ったものかもわからない。

 

今の社会に必要な力は、情報を選別する力。この力をどうつけていくかが肝心か。