本を熱いうちに読む

厚みのある本は苦手

他人の不幸は飯が美味い 「なぜ他人の不幸は蜜の味なのか 」

 

「他人の不幸は蜜の味」という言い回し通り、(妬ましい)他人の不幸を見た時の脳の活動は、甘い蜜を味わっている時と同様だったわけです。

 

本日の一冊は「なぜ他人の不幸は蜜の味なのか 」

 

皆さんこんばんは。1週間ぶりの更新です。

さて、本書は他人に不幸を喜びに感じるのはなぜかと脳の働きから知ることができる一冊です。といっても後半はfMRIの説明や、心の動き、最後には心の治療の話になっていて、タイトルの話は前半だけです。

 

なので、後半はパラパラ読みで、前半の「なぜ他人に不幸は蜜の味なのか」について書いていこうと思います。

 

他人の不幸を聞くと喜びを感じる時があります。不道徳だと思っていても、この感情は確かに自分の中にあるわけで、表には出さないけれど、誰もが経験したことがあるものだと思います。

 

では、タイトルにある通り、なぜ他人の不幸は蜜の味になってしまうのでしょうか。

 

まず、他人の不幸が喜びに変わるために必要な感情が「妬み」です。

 

相手に対して「妬み」の感情を抱いている時、脳はその人の不幸を、より強く「喜び」として感じます。

 

人を妬むことは悪いものとして扱われることが多いと思います。キリスト教では、7つの大罪の中に「妬み」があるほど、人を妬むことはよくないと教えられていますし、嫉妬心は人を悪人にさせてしまいます。

 

 

ただ、この妬みという感情を抱いていない時、他人の不幸は喜びではなく悲しみになります。

 

ではこの妬みという感情はどういう時に抱いてしまうのでしょうか。

 

人は、自分が手にしているものとよく似ているが、相対的に価値の高いものを他人が手にしているのを見た時、妬みの感情を抱きやすいのです。

 

これを隣の芝生は青く見えるという言葉で説明しています。自分と共通点が多い人と比べてしまい、相手の方がいいものを持っていると感じると、妬ましさを感じてしまう。

 

確かに年収1億の社長さんと比べても別世界すぎて妬むというより羨ましいぐらいの気持ちしか出てきません。ただし、自分のお隣がいざ年収1億だったと知ると関係ないのに隣なのにどうして・・・と妬んでしまうかもしれません。

 

そして、この妬ましいお隣さんに不幸が起きると、なんとなく喜びを感じてしまいます。

 

この妬みという感情を知るために、fMRIを使った実験を行ったところ、ある脳の部位が活動していることがわかりました。

 

線条体は脳の中心深くに存在する興味深い構造物で、「報酬系」と呼ばれるネットワークの重要な部位であり、もともとはおいしい食べ物やお金など、文字通り「報酬」を得た時に反応することが知られていました。線条体には脳内伝達物質のドーパミンが豊富に存在しており、報酬が期待される時や実際に得られた時には、心地よさや満足感をもたらすドーパミンが脳内に放出されます。

今回、被験者の脳の線条体は、食べ物やお金を得ていないにもかかわらず、他人の不幸を見ただけで、あたかも報酬を得たかのような反応を示しました。「他人の不幸は蜜の味」という言い回し通り、(妬ましい)他人の不幸を見た時の脳の活動は、甘い蜜を味わっている時と同様だったわけです。

 

他人の不幸を聞いた時、人はドーパミンが放出されるそうです。つまり快感なわけですね。脳の活動では、甘い蜜を味わう時と妬みの喜びは同じ活動を示した。

 

昔の人の表現はうまいですね。「他人の不幸は蜜の味」はことわざですが、この感情を表現する一つの単語としては見当たりません。なぜでしょうか。

 

日本でも英語圏でも、この感情は普遍的なものとして理解されているにもかかわらず、それを一言で表現する単語は存在しません。おそらく「他人の不幸を喜ぶことは慎むべきことである」とされているため、明確に示す単語が生まれなかったり、市民権を得られなかったりするのでしょう。

 

しかし、ドイツ語にはこの感情を言い表す単語が存在するのです。

 

それはschadenfreude(シャーデンフロイデ)という単語で、schaden(損害)とfreude(喜び)の2語をつなげた構成になっています。つまり「損害に伴う喜び」というのが原義です。

 

このシャーデンフロイデという単語はwikipediaにも載っていて、関連項目にメシウマという単語が登録されています。

 

メシウマはインターネット上で生まれた言葉で、妬みや嫉妬が渦巻くネットだからこそ生まれ、そして定着しているように思えます。

 

 

定着していてもネットで見かけるだけで、日常会話で出てくることはあまりなく、やはり表に出してはいけない感情という認識なのでしょう。

 

他人の不幸を喜んでしまうという感情、そういう脳の回路が存在することは確かですが、それを表に出す出さないは、社会のルールに従った方がよさそうです。

 

おしまい。