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本を熱いうちに読む

厚みのある本は苦手

心も脳も理解できん 「脳男」

江戸川乱歩賞 小説

 

「心」は脳の作用にしかすぎないのだから、人間の「心」を知るためには脳という物質を研究する以外ないのだ、と。

 

 

本日の一冊は「脳男

 

第46回江戸川乱歩賞受賞作。

 

なにより表紙が不気味です。寝る前は照明を暗くして読むので、表紙がさらに不気味に映って気持ち悪かったですね。

 

さて、内容はというと、

 

連続爆弾犯のアジトにいた、謎の男鈴木一郎。彼は心を持っていなかった。鈴木一郎の精神鑑定を担当する鷲谷真梨子は、彼がいったい何者か探ろうとする。そして病院に爆弾が仕掛けられる・・・。

 

話の視点は精神科医の鷲谷がほとんどで、あとは警部の茶屋や鈴木一郎。

 

圧倒的に面白く、これまで読んできた江戸川乱歩賞受賞作の中でもトップに入ります。

 

特に心や脳をテーマとしていて、心理学を勉強していた身としては非常にためになりました。

 

本記事の目次

1.心と脳

2.必要と取捨選択

 

心と脳

 

脳と心はどう違うのでしょうか。

 

ここでは脳神経医学と精神医学についてこう説明している場面があります。

 

脳神経医学は死と戦うための医学、精神医学は生と戦うための医学 

 

といっても、この続きにもっともらしいけど役に立たない言葉だとか、精神科医である鷲谷がわたしにはわかりませんなど、説明がなく結局よくわからないで終わっています。

 

精神医学が生と戦うための医学というのはなんとなく分かります。

 

精神的な障害を持った人の中には生きていくのが困難な人も多くいます。

 

そんな彼らを支援するのが精神医学なのでしょう。

 

しかし、脳神経医学が死と戦うという表現はなんだか腑に落ちません。

 

脳と死の関係は「脳死」が真っ先に思い浮かびます。

 

このことから死と戦うという表現にしたのでしょうか。脳と心についてどう考えているのか。著者の脳内が気になりますね。

 

また、心と脳の関係についてこう表現しています。

 

「心」は脳の作用にしかすぎないのだから、人間の「心」を知るためには脳という物質を研究する以外ないのだ、と。

 

じゃあ脳神経医学と精神医学の違いは何だろうって思いますね。

 

ただ心理学を研究していた私としては、

 

脳を研究することは昔は難しかったから、心を研究することによって

 

脳を知ろうとしていたんじゃないかと思います。

 

それが今日まで続いて、脳神経と精神医学と分かれただけなんじゃないかと。

 

つまり人が何を考え、何を思い、何を感じているのかを研究するための手段が脳か心かという違いなんだろうなと。

 

現代だったら心を研究するより脳を研究したほうがより人間を知ることができそうですね。

 

まあ心理学よりデータ使わないといけないからその分大変そうだけど。

 

 

 

必要と取捨選択

 

次に、少し長いですが気に入った・気になった場面があるので引用します。

 

「すべてを一字一句たがわず暗記している本が一冊でもあるかね」

「いいえ。ありません」

「なぜかね」

「たぶんその必要がないからだと思いますが」

「それが正解だな。人間はなぜ学習する」

「必要からですか」

「そうだ。人間はつねに必要という文脈で判断し行動する。われわれの認識や行動基準など、せまい基準の範囲内で行われるにすぎないということだ。たとえばきみが知らない土地をドライブして二股に分かれた道にでたとき、どちらに曲がるかを決めるのにきみは環境問題やアイルランド自治権を判断の材料にするかね」

「いいえ」

(中略)

「すると、いったいなにが判断の基準になる」

「もちろん、どちらの道を行けば目的地にはやく着くことができるか、です」

「そう。それが必要という文脈だ」

「よくわかりませんが」

「人間はいろいろな経験をし、さまざまなことを学んでいるつもりになっているが、実は必要という文脈で取捨選択をしているだけだということだ」

「人間は必要なだけ利口になれるということでしょうか」

「正反対だ。ある人間がどんなに優秀な頭脳をもっているといったとしても、それはその人間が必要とする範囲の優秀さをでることはないということだよ。

 

つまり人間の賢さは、その人の必要という文脈の取捨選択の優秀さなのでしょうか。

 

最近は情報過多で、情報の取捨選択ができるかが重要になっています。

 

ニュースサイトをスクロールして、ものの何秒かでそのニュースが自分に必要か不必要かを判断している。

 

多くの情報が不必要な場合は、その人はその情報を見ることはない。

 

逆にどんな情報でも必要と判断した場合は、多くの情報を目にする事だろう。

 

ただここで話していることは必要の取捨選択以外に人間の記憶力が関係してくるから、引用した必要という文脈の取捨選択とはちょっと違うかも。

 

結局人ってのは、自分で判断していると思っていても、自分では認知することができない無意識の部分が大半で、自分なんてものは理解できんってことだ。

 

おしまい。