本を熱いうちに読む

厚みのある本は苦手

【後半】結婚・恋愛・共感 「男は邪魔! 「性差」をめぐる探求」

 

私が質問すると、男は自分が知っていること、あるいは「自分は知っている」ということを語りたがる

 

本日の一冊も「男は邪魔! 「性差」をめぐる探究 (光文社新書)

 

後半です。

 

本記事の目次

前半

1.男は強者・女は弱者

2.妄想力

後半

3.結婚と恋愛

4.共感と「わかっている」

 

 結婚と恋愛

 

男女の関係を考えるうえで必ず出てくる話題「結婚」と「恋愛」

 

まずは結婚について。

 

離婚の原因の上位にあがるのが「性格の不一致」。

 

これについて著者は当たり前じゃないかと述べています。 

 

そもそも「一致」とは「指紋の一致」のように「ぴったり同じになること」を意味する。性格がそうなることはまずありえないし、下手に似た精確だとお互いに自分のイヤな部分が相手に投影されて不快感に苛まれることもあるだろう。となると「性格の不一致」は離婚の理由というより、むしろ結婚の前提ではないだろうか。価値観も違って当たり前。価値を見いだす対象が異なるのかもしれないが、違うから合わせようとする。違いあっての合わせる努力ということで、それこそが愛。ひいては結婚というものではないだろうか。

 

この本の中で一番鋭い指摘だと考えているのですが、性格が不一致なのは当たり前ですよね。

 

むしろ性格が一致してたらドッペルゲンガーで怖いです。

 

似たような性格がたくさんいると思いますし、そういう似たもの夫婦という言葉があるように、似ていることは結婚の上でとても重要な要素なのでしょう。

 

しかし、それは似ているだけで一致してはいない。

 

似ているとこもあれば似ていないところもある。それを理解している似たもの夫婦が円満な関係性を築いていけるのでだと思います。

 

逆に、似ているを一致を勘違いしていると少しでも似ていないところを発見すると嫌になってくるのではないでしょうか。

 

性格の不一致は結婚の前提。重い言葉です。

 

次に紹介するのは恋愛。

 

まずはここ数年流行っている?草食男子について。

 

「草食、いますよ」

試みに、27歳のOLにたずねてみると、彼女は明言した。どういう特徴なのかと訊くと、吐き捨てるようにこう言う。

「据え膳食わない」

(中略)

微笑みながら彼女は回想するのだが、彼は単に「奥手」ということではないだろうか。本当に好きな場合、男は簡単に手を出さないものなのだ。

 

草食男子という言葉の流行によって奥手という言葉が消え去ってしまったのではと感じてしまうほど草食男子しか耳にしません。

 

そしてこの草食男子にネガティブなイメージを持っていると、恋愛がうまくいかない。

 

本当に好きで、奥手になっていると草食男子の烙印を押されてさよならバイバイ

 

ただ草食男子という言葉がなくてもいつまでたっても奥手だとさよならバイバイなんだけど。

 

草食男子という言葉で括られて女に見捨てられる人がいると思うとなんだか可哀想です。 

 

そしてもう一つ恋愛の話。

 

そういえば以前、ある美容整形外科医がこんなことを言っていた。

「男からすると女には2種類ある。『やりたい女』と『そうでない女』。ところが女からすると『やりたくない男』と『そうでない男』なんだよね」

男は女性をセックスしたいかそうでないかに分類する。しかし女性はセックスしたくないかそうでないかと分類するらしい。男はいったん「そうでない」と分類しても、一緒に酒を飲んだりすると次第にそうでもなくなってきてしたくなってきたりする。ところが女性は「やりたくない男」に対しては何があっても断固拒否。美容整形手術を受ける場合も、女性のほうは、より「やりたい女」と思われるようになりたいと願うのに対し、男性は「やりたくない男」からの脱皮を目指すらしい。点数でいうと、女性は80点の人が85点を狙うそうだが、男は落第点から逃れるために整形手術を受けるそうだ。

 

加点法と減点法みたいですね。

 

加点されたいがために変わる女性。

減点されないがために変わる男性。

 

なんとも面白い差です。

 

こういう性差をめぐる探求がもう少し多ければこの本ももう少し評価が高いのでは。

 

 

 

共感と「わかっている」

 

女性同士は共感しあい、わかり合える。

 

そのようなことを書いておしまいにしたいと思います。

 

要するに、同性である女の子なら「わかる」ということである。実際に女の子を育てた母親なども「自分とそう性格が変わらないんです」と断言するくらいで、同性なら「わかり合える」と期待するのである。子供の立場からすると、女の子は「わかられている」存在として育つわけで、極端な話、「あなたのすることはわかっている」と見透かされる視線を浴びながら育つのだ。そして母親もまたその母親にそう期待されていたので、女性たちは「わかっている」の連鎖の中にいる。実際に理解しているか否かは別として、「わかっている」という態度が基本姿勢になるのではないだろうか。

 

この「わかっている」という基本姿勢があるからこそ、母親と娘はわかり合っているのではないでしょうか。対して母と息子、ひいては女と男がうまくいかないのはこの「わかっている」という基本姿勢がないからではないでしょうか。

 

「奥様が『腰が痛い』と言ったら、どうします?」

(中略)

「多くの男性はすぐ『医者に行ったのか』と言うんです。これはもう最悪」

―すみません。なんでダメなんでしょうか?

「そこには共感がないじゃないですか」

―共感するには、どう言えばいいんでしょうか?

「女性同士の場合は、『私もヒザが痛くて痛くて』と言ったりするんです。重要なのは言葉の反復と『体験返し』です。自分の似たような体験を話し返すんです」

 

男は「わかっている」ことを相手に示さないのです。共感ではなく、アドバイスをしてしまう。

 

話を聞いてほしいだけなのに、わかると言ってほしいだけなのに、解決策を見いだそうとする男。困っちゃいますね。

 

女の子同士は共感しわかり合う。だからあんなに仲がいいのでしょう。

 

言葉の反復と体験返し。意識して女の子とおしゃべりしたいです。

 

おしまい。