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撮影は記録ではなくコミュニケーション 「リベンジポルノ―性を拡散される若者たち 」

 

本来、撮影とは何かを「記録」するためのものだが、いまの若者にとって撮影は、「コミュニケーション」の一方法と化していると見られる。

 

本日の一冊は「リベンジポルノ―性を拡散される若者たち

 

本記事の目次

1.コミュニケーションになった写真

2.なぜ撮らせるのか 

3.まとめ

 

写真は記録ではなくコミュニケーション

 

ジャーナリストが、リベンジポルノについて取材をしてまとめた一冊。

 

加害者や被害者の話もあって、とてもリアルな内容になっています。

 

本著は、女子高校生サポートセンターColaboの代表である仁藤さんに取材を中心としてまとめられていますが、

 

写真を撮るという行為について仁藤さんはこう述べています。

 

スマホの普及により、性の記録を送り合う行為は非常に身近になっている。だが、手段がいくら整ったとはいえ、それらを実際に使うかどうかはまた別の話だ。スマホは持っていても、「撮影しない」という選択肢もあるはず。なぜ若い恋人たちは「わざわざ」、頻繁に性的な画像を撮影しようとするのだ。仁藤さんは言う。

「写真を撮ることが、日常になっているんだと思います。コミュニケーションの一環、みたいな。食べたご飯を撮影してSNSに投稿するのと同じような感覚でしょうね」

本来、撮影とは何かを「記録」するためのものだが、いまの若者にとって撮影は、「コミュニケーション」の一方法と化していると見られる。彼氏と一緒にお風呂に入るというのは、2人が共有する時間を盛り上げたり、親密度を深めたりする行為だ。性的な撮影はまさに、そうした行為の代替となるのかもしれない。 

 

記録というより、コミュニケーションの色合いが強くなる写真を撮るという行為。

 

それは新しいコミュニケーションの形なのでしょう。

 

撮らせるという感覚はなくて、お互いが能動的に撮り、撮ってもらう。

 

わたしも撮る撮らせることに抵抗はないし理解もありますが、

 

それをネットに上げるのはまた違いますね。

 

ネットに上げることを目的に写真を撮るならそれはリベンジポルノです。

 

なぜ撮らせるのか

 

さて、リベンジポルノについてよく言われるのが

 

「なぜ撮らせたのか」

 

著者もとうてい理解しづらいと言っていますが、

 

さきほども書いたように、写真は記録よりコミュニケーションとして使われており、中にはこのように考えている女性もいるようです。

 

スカイプで、『自慰しているのを見せて』と彼氏に言われて応じる女子高生もいます。彼氏に自慰でAVを見て抜かれるよりマシ、と考えているそうです。

 

自慰する時に使うのかな、と思って。『淋しかったらこれを見てね』と送りました。他の女の人の身体を使って自慰するよりは、自分の身体でやってほしいと思っていました。

 

他の女の人で抜かれるなら自分の身体を見て抜いてほしい。

 

つまり男性側は、「お前の身体見ながら1人でもしたい」

 

なんてこと言えば撮ってくれるんですかね。

 

 

 

3.まとめ

 

取材過程によって見えてきた2つの現実。

 

1つは、画像や動画を撮影するという行為が、若者たちの間ではコミュニケーションの一環として、既に日常になっているということだ。一緒に撮影する相手が友達であろうと恋人であろうと、また撮影内容が性的なものであろうとなかろうと関係ない。共有する時間を盛り上げたり、親密度を深めたりする効果的な手段として、撮影という行為はごく気軽に疲れている。

(中略)

もう1つの現実。それは、若者の性的な画像や動画は金になる、ということだ。特に、少女を被写体とするものへのニーズは、この社会で非常に高い。(中略)近年では、画像や動画を有料で配信出来るアプリが登場し、子どもであっても、撮影したものをやりとりして収入を得ることも可能になった。

 

これがリベンジポルノが登場した背景なんでしょう。

 

撮る撮らせるという行為を止めることはできないと思います

 

ただ、その撮った画像や動画をネットにあげないというマナーをどうにか身に付けてほしいです。

 

 

おしまい。

 

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