読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

本を熱いうちに読む

厚みのある本は苦手

完全犯罪の矛盾―「不愉快犯」

小説

 

つまり、私が定義するところの完全犯罪とは、完全犯罪を達成した事実を世の中に知らしめることができてこそ、完全なる犯罪だということなのだ。

 

本日の一冊は「不愉快犯

 

 ストーリー

 

 ミステリー作家の成宮彰一郎の妻が行方不明となった。

 

にもかかわらず、彰一郎は焦る様子もなく、

 

「どうせなら、死んじゃっててくれないかなぁ・・・」と言う。

 

事件性が高いと判断した警察。

 

新米刑事の兼子は優秀な先輩刑事の佐藤とコンビを組み、事件を捜査する。

 

次々と事件の全貌が見えてくる中、警察は彰一郎が怪しいと考え・・・

 

 

 

 

 

 

■ 以下ネタバレ■

 

 

 

 

 

 

 

完全犯罪

 

このブログの初めの引用は、犯人である彰一郎が考える完全犯罪の定義。

 

完全犯罪を成し遂げた犯人たちは、当然だが完全犯罪であるために捕まることはない。

 

完全犯罪を認めてほしいと思って完全犯罪をしたとしても、

 

その完全犯罪は完全犯罪がために、誰からも認めてもらえない。

 

そのジレンマによって、犯人は次の犯罪に手をそめてボロを出し逮捕される。

 

それでは完全犯罪にはならない。

 

だからこそ、完全犯罪であることを認めさせ、かつ無罪になることが大切として

 

彰一郎はこの完全犯罪を生み出した。

 

ミステリー小説という切なさ

 

彰一郎はミステリー作家として、完全犯罪を考えた。

 

しかし、ある問題が生じてしまった。

 

だが小説にとっての完全犯罪とは、破綻する計画でなくてはならない。一見完璧だと思われた計画が些細なミスや不運から綻びを生じ、犯人は主人公である名探偵に追い詰められなければならないのである。

 

そう。小説の完全犯罪はどこかでバレてしまうのだ。

 

この一文は、面白い視点だ。

 

一般的なミステリー作家は事件の謎を思いついても実行に移そうなんてものは考えない。

 

完全犯罪なんてものを思い浮かんでも、どこでどう探偵役が事件を解決できるようにするかを考えるのではないか。

 

だがこの彰一郎は違う。

 

完全犯罪を完全犯罪のままにして、世間に公表したいという気持ち。

 

つまり犯人の視点に立っている。

 

 この作品は、彰一郎視点で、完全犯罪をどうやったかを説明している。

 

犯人視点の小説はなかなかないのではないか。

 

そう考えるととても愉快に読めた。

 

 

不愉快

 

タイトルは不愉快犯だが、とても愉快に読めたとさきほど書いたばかり。

 

しかし、レビューを見てみると本当に不愉快だ!と書いている人もいて、

 

正義が多いなと感じたり感じなかったり。

 

警察視点だと、彰一郎は非常に厄介で不愉快な気持ちにさせてくる。

 

だが、彰一郎視点だと、警察の翻弄される姿はとても愉快だ。

 

タイトルは完全犯罪でもよかったのでは、と感じる。

 

まあ完全犯罪なんてものは架空の世界の話だけで、

 

現実世界では起きてほしくない。

 

 

 

お_し_ま_い。