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本を熱いうちに読む

厚みのある本は苦手

現代社会のジェンダー論―「居場所」のない男、「時間」がない女」

ジェンダー

 この国の女性は、家族のためにどれだけ時間を差し出すことができるかが、愛情深さのパラメーターとされてしまう。

 

本日の一冊は「「居場所」のない男、「時間」がない女

 

 

居場所のない男

 

現代社会の男女がどういう状況にあるかを述べた一冊。

 

居場所のない男とは、仕事一筋で周りとの関係性を構築することもなく定年を迎え

 

気づけば1人だった、もしくは妻がいるだけという人が増えているということ。

 

妻にとってみれば友達がたくさんいて遊びにでかけたい。

 

しかし、夫は独りぼっちで困ったものだ。ということが述べて合ったりする。

 

また、孤独と自殺の関係性や労働についてもわかりやすく書いてあってよい。

 

ただあまり男性像についてはなんとなく分かっていたので興味は薄め。

 

時間がない女のほうがとても興味深くて面白い。

 

時間がない女

 

社会史を専門とするS・R・コーワンという人物がいる。

 

コーワンは、「工業化が男の分担していた労働をなくした。同じ過程で、女の仕事はそのままであるかむしろ多くなった」と述べている。

 

「家で男の仕事とされていた労働(もともとはこれが男の職業であった)のほとんどが、19世紀に技術・経済における革新によって消滅し、それまでは子どもたちに割り当てられていた仕事もなくなってしまった」。

だが一方、「女の仕事(職業)については、そうはならなかった。機械生産された布は女が糸を紡ぐ必要をなくした」が、「彼女らが裁縫する必要は残った」し、針仕事は「女だけがずっとやってきた仕事であった」。

 

 家事を楽にしたり便利にするものは日々登場するが、それ自体をなくすことはない。

 

掃除は誰かがしなければいけないし、洗濯も誰かがしなければいけない。

 

総務省が出している社会生活基本調査に家事関連時間がある。

 

これによれば、女性の平日家事時間は、2006年と2011年で3時間32分と変化していない。

 

土曜日、日曜日もだいたい3時間30分となっていて、家事の時間は減っていない。

 

あえて言えば、女性の時間は女性個人のものではなく、家族の共有財産であると考えられているのではないのか。 

 

だが、昼間に街を歩けば、女性たちがいっぱいるではないか。これについて、著者はこう説明している。

 

この「昼間優雅に過ごしている」かに見える女性たちは、実は「集まれるのはこの時間帯だけ」である点に注意が必要である。女性たちは、「昼間から暇」なのではない。「昼間の、子どもが学校や幼稚園などに行っている間だけが唯一の休憩時間」なのである。

 

つまり夜勤をしている人間が、昼間にランチをしているのを見るようなものだ。

 

見えていないところで忙しいのである。

 

女性たちは忙しい。なのにさらに女性たちに活躍してもらおうとする政治はどうかしている。

 

男性の時間はもう限界なのか。単純に生産性が低いだけではないのだろうか。

 

そんなことを考えてしまう。

 

まとめ

 この記事の最初に引用した一文。

 

この国の女性は、家族のためにどれだけ時間を差し出すことができるかが、愛情深さのパラメーターとされてしまう。

 

結婚し、子どもを持って、働きに出ている女性が一番働いている事実に

 

家事もせず育児もしない男性は、早く気づいた方がいい。

 

お_し_ま_い_。