本を熱いうちに読む

厚みのある本は苦手

熟慮した読書をする

 

 新年一発目の読書は「読書について」。2018年はどういった読書スタイルをとっていくか考える上で、外せない一冊を最初に読むことにしました。これで読むのは3回目ぐらいでしょうか。今回も学ぶべきことがありました。

読書について 他二篇 (岩波文庫)

 ションペンハウエルは読書を「他人にものを考えてもらう」行為だと批判をしている印象を強く持っていましたが、3回目にして読書は一冊を繰り返し読むことが重要であるということが書いてあることに気づきました。

熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。

 食べ物を例に出して「食べ物は食べることによってではなく、消化によって我々を養う」として、読書をとにかく読むのではなく、読んだものを熟慮することによって自分自身のためになる、というわけだ。そしてションペンハウエルは才能と読書について以下のように言及している。

読書は我々が駆使しうる天賦の才能の駆使を促すのである。だからこの読書の教えは、生まれながらの才がある場合にのみ意味を持つ。それを欠いていれば、我々は読書から生気に乏しい冷い手法だけを学んで、軽薄な模倣者になるにすぎない。

 ある才能を欲しいと願っても、自分自身に最初からその才が眠っている場合にのみ、その才は読書によって開花することができるらしい。どんなにプロ野球選手になりたくても身体が硬かったり肩が弱いとプロ野球選手になるのは難しい。

 これはハウツー本や自己啓発本を読む場合に非常に心に突き刺さるというか、そもそも経営力だったりセルフコントロール力だったり、仕事力だったりを自分自身が持ち合わせていないのに、そういったものを向上させる本を読んだところで才を持っていないのだから咲くわけがないってことか。

 自分自身の才にあった読書をすることは大事。

 これは読書法にも当てはまる。多読したくて速読のスキルを学んでも一向にうまくいく気配がない。私には多読・速読は向いていないのではとよく感じる。なので去年ぐらいから読む速度を遅くした。読める本の数は減ったが、自分の中に残る読書はできているのではないかと思っている。思っているだけで、結局何にも変わっていないのかもしれないけれど。

 もう一つ、「読書について」を読んでムムッとなったところを引用。

読み終えたことをいっさい忘れまいと思うのは、食べたものをいっさい、体内にとどめたいと願うようなものである。

  何度となく本を読んでも99%のことは忘れてしまう。むしろ読んだことさえも忘れている場合もあって、これでよいのだろうかと考えてしまうのだが、読んだことを全て覚えておこうとするのはおこがましいことなのかもしれない。人は忘れる生き物。その事実を胸に刻んで読書を楽しんでいこうと思う。

 おしまい。

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本日の一冊

読書について 他二篇 (岩波文庫)

読書について 他二篇 (岩波文庫)